小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ
明治から昭和にかけて画家というジャンルにとどまらず装丁や舞台美術など幅広く今でいう「デザイン」の世界で活躍した小村雪岱の作品を集めた展覧会。
各所で紹介されている記事と作品を見てなんとオシャレなんだろう!!と気になっていてようやく行けました。日時予約が必要なのですが会期終了(~4/18)まですでに土日はいっぱい。水曜12時の枠で入場しましたが結構混んでました。
入口入ってすぐに泉鏡花の「日本橋」の装幀本とその作品をモチーフにした蒔絵作品「苫舟日本橋」がならんで展示。この蒔絵を制作したのは彦十蒔絵という漆作品を現代へアップデートする活動をしているアーティストグループ。装幀に描かれている波と蝶が散りばめられた精巧で美しい作品。これを見ただけでこの後の作品に期待が高まります。
最初の部屋はこのあとの展示内容のダイジェスト版のような展示で肉筆画、版画、装幀、工芸品と選ばれたものたちが並ぶスペース。オープニングのようですね。そこを抜けると先日「あやしい絵」展でも展示されてた「おせん 雨」の版画がひとつだけ展示されてます(↑の幟に描かれた傘が重なっている絵ですね)。この意匠はほんとに素敵です。アイコンにぴったり。
それぞれの章立てことに簡単に感想を書いていきます。
- 肉筆画・木版画
生涯で数百点もの挿絵を手掛けてますが肉筆画はかなり少ないんだとか。
正確で計算された構図で描かれた作品は肉筆で見るとより細かな筆のタッチまで見えてほれぼれします。
挿絵では春信スタイルと呼ばれ江戸時代の浮世絵師鈴木春信の影響を受けていると言われてますが女性の顔では歌川国貞が好きなんだとか。
ちょっと意外でしたが「赤とんぼ」という作品の暖簾から首だけ出している女性の顔はちょっと国貞の描く女性の顔に近いかもと思いました
もう少し現代的になってますが。
そして「あやしい絵」展にもあったお傳地獄「入墨」のカラー版画があってちょっとコーフン!!
桜を背景にした女性の入墨が鮮やかでほぉおおおとなりました。女性が覆いかぶさっている布団まで描かれててちょっと艶めかしかったです。
ちょっと変わったところでは「法隆寺金堂壁画」の模写があってこういうのも描いてたんだーとなりました。
東京芸術学校出てるんだから当然と言えばそうなんですけど。
- 装幀本
そして泉鏡花の本を始めとしたさまざまなデザインの装幀本がずらり。
あまりの人気に通常のハードカバー?サイズより小さめの着物の袖にしまえるサイズの袖珍本(今でいう文庫本のような感じ?)もあって
これを持ってるとオシャレ、みたいな感じだったのかなぁなんて思いました。
本を収める箱にも模様が入ってて出すとさらに華やかなデザインの表紙~背表紙~裏表紙があり、表紙をめくるとさらに本の内容に合わせた絵が描いてあって確かに内容読まなくても欲しくなるような本ばかり。
私自身、最近は専ら電子書籍派なのですが、こういうデザインの本だったら手元に置いておきたくなりますね。
泉鏡花の作品の装幀はもともと鏑木清方が担当していたのですが小村雪岱のデザイン力を高く評価していた清方が繋いだとか。年齢が9歳上の清方とは先輩後輩のような間柄だったみたいで鏑木清方の文筆本に小村雪岱の装幀という贅沢な本もありました。
次の部屋との途中にある茶室コーナーに展示されてたのが雪岱の写生画「ヤマユリ」とそれにインスパイアされた現代アートの「枯山百合」(松本涼作)と見立漆器「鋏」(彫刻:小黒アリサ、漆芸:彦十蒔絵)この鋏、木と漆でできているのですが見た目は生け花用の鋏そのもの。持つとその軽さに驚くんだとか。へぇええ持ってみたい。そして「枯山百合」は雄しべ雌しべ以外は一本木で彫られた彫刻。花びらを茎の細かな模様手製の刀で彫ってるんだそう。美しかったです。
- 挿絵原画
新聞の連載小説の挿絵の原画コーナー
新聞挿絵のテイストってここから始まったのかなっていう感じ。
その日に掲載される内容のある一部分を切り取って目を引くように描くっていうのは
とてもデザイン性が問われると思います。これはいったい何の場面??って見たくなるような。
時には女性がひっくり返ってたりつかみ合いになってたりとちょっとセンセーショナルな場面もあるけど不思議と下品にならずすっきりしているところが腕なんでしょうね。
面白かったのが「忠臣蔵」の挿絵で四十七士を描き分けなきゃいけないのに資料がなくて泉岳寺にいって木仏を写し取った描いたんだとか。確かに描き分け大変そう。
- 舞台装置原画
このコーナー面白かったなー。
舞台美術まで手掛けてたなんて総合アートプロデューサーだったんですね。
資生堂に入社して本の装幀手掛けたり舞台美術やったりと石岡瑛子さんにも通じるものがあるような。そういう人材を採用するんですかね、資生堂。
原画の余白には細かな指示も描かれててそんなところも石岡さんと同じでした。
会場には小村雪岱の言葉も展示されてて舞台装置のコーナーには
「舞台セットは俳優の演技を活かし、その作品の気分あるいは精神を十分はっきするように考案され観客の興味の焦点となるものではない」
という言葉が掲げられててあくまでも主役は俳優で作品の良さを引き出すためのものであるという拘りがあったみたいです。
実際に描かれた絵を見ると忠実に家や料亭や茶屋が描かれててこの上で演技すれば自然と感情が出てくるだろうなぁと思いました。
特別コーナーに先輩鏑木清方の版画(鑓の権三重帷子)と清方が手掛けた泉鏡花の作品と装幀:小村雪岱、口絵:鏑木清方の作品もありました。
清方の女性はやっぱり色っぽいなぁ。
引っ込みのコーナーには鈴木春信の浮世絵も。やっぱり春信の影響は大きい気がします。
- 工芸
このコーナー小村雪岱が小粋で繊細な美意識を培った土壌となった江戸~明治にかけての工芸作品と現代アートが展示されてます。
簪の繊細な模様や帯留めの多彩なデザインなど一度身に着けてみたいようなものばかり。
並河靖之 の「藤に蝶図花瓶」1口は円山応挙の藤図屏風を思わせる美しさ。七宝で屏風絵に描かれた絵のような表現ができるんですね。びっくり。
あと刺繍で作成した屏風にも驚きました。真っ黒な布地に真っ白な柳と鷲が描かれてて遠目から見たとき屏風じゃなくて白いオブジェかと思いました。
現代アートのコーナーには小村雪岱の「青柳」から発想を得た「目薬と手鏡」(白井良平)という作品があり
小さな畳の上に手作りのガラスでできたタイトルそのままの目薬と手鏡が並んでます。何か面白い。
全体を通して洗練されてるという言葉に集約されるような作品の数々。楽しかったです。
- おまけ
三井記念美術館の展示会場を出てミュージアムショップ、カフェコーナーを抜けて出口に向かう途中の廊下のポスターを見るのが楽しみなのですがこちらが情報誌に掲載されたらしくポスター担当者のインタビューが載ってました。やはり気合が入ってたのですね。
電線絵画展 -小林清親から山口晃まで
タイトルの「小林清親」と「山口晃」のお名前に惹かれてずっと行きたいと思ってた展覧会に行ってきました!
「富士には電信柱もよく似合ふ。」
そんなサブタイトルがついたこの展覧会。
美的景観を損なわれると忌み嫌われがちな電線、電柱を明治初期から現代に至るまでの電線、電柱が果たした役割と各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、読み解いていこうとするものです。
子どもの頃から慣れ親しんだ風景の中にあるものとして絵画の中に登場している作品を通して時代ごとに電柱や電線の役割の変遷を見ていくという着眼点が面白い展覧会でした。
作品の写真はNGだったので章ごとに簡単に感想を書いていきます。
(参考:↓の記事に作品の写真が多く掲載されています)
プロローグ 日本最古の電線絵画
ペリー献上電信機実験当時の写生画から始まります。
野原の真ん中に走る電信柱の様子が描かれてます。
電柱には2種類あって通信を送る電信柱と電力を送る電力柱。日本で最初に普及したのは電信柱でアメリカからきたペリーが連絡手段として設置を要求したのが始まりだとか。まさに文明開化です。
第1章 晴れやか 誇り高き電信柱
小林清親シリーズみたいなコーナー。
文明開化の匂いのする作品が多く蒸気機関車を描いた「高輪牛町朧月景」は海上を走っているかのような光景。
「三囲神社(みめぐりじんじゃ)」や「向島八景のうち枕橋」など下町の風景の中に入る電柱というのが明治期の浮世絵という感じ。北斎や広重が生きてたらどんな風景を描いたのかなぁと想像してしまいます。
浮世絵といえば明治初期には江戸後期から活躍してた河鍋暁斎や月岡芳年といった絵師たちも時代を切り取って早速戯画的に取り上げてて面白かったなぁ。天狗の姿をした郵便配達員(「月岡芳年 芳年略画 頼政/天狗の世界」)とか蛙の人力車と郵便配達員(河鍋暁斎作。↑の写真の幟になってる絵です)
電柱は先に通信を送る電信柱が先に発展したので郵便夫とセットで描かれることが多かったのだとか。なるほどー。
第2章 晴れやか 誇り高き電柱 電気の光
時代が下って今度は電力を送る電力柱を中心に描いた作品たち
早くから電気を取り入れたのはなんと吉原。やはりエロは人類を進化させる?
(小林畿英「新よし原仲之町満花の図」)
銀座に火力発電所があったというのも意外だったのですが(小林幸作「東京名所 京橋之図」)
まだ電気についての理解が市民に浸透していない明治24年に帝国議事堂で火災が発生し原因が漏電ではないかと言われたことから急速に電灯を解約したり電力所が襲撃されたりしたんだとか。これって311の福島第一原子力発電所の事件のめちゃくちゃ縮小版って感じ。
第3章 富士には電信柱もよく似合ふ。
日本のシンボル富士山を背景に電信柱があるとノスタルジーを感じますね。思えば私の思い描く田舎の風景って田んぼの一本道の両側に電柱が連なっているような景色かもしれない。刷り込まれてるー
展覧会のキービジュアルにも使われている小林清親の「従箱根山中富嶽眺望(はこねさんちゅうよりふがくちょうぼう)」がお見事。弥次喜多道中の時代よりくだっているけどまだこんな姿で旅をしている人がいた時代なのかな。明治13年。
第4章 切通しと電柱ー東京の増殖
岸田劉生の自宅代々木付近を描いた「代々木付近(代々木付近の赤土風景)」は別角度から描いた「道路と土手と塀」が有名。
先日、国立近代美術館で見てきました。現在MOMATコレクションにて展示中。「窓外夏景」は結核の療養のため移り住んだ鵠沼海岸の眺め。青空に真ん中にどんと電柱があり夏の午後の昼下がりのじりじりという暑さが伝わってくる作品。電柱ってなんか夏休みのイメージに合う。ちょっと物悲しさもあってヴァロットンの「ボール」を思い出しちゃった。
同じ鵠沼海岸在住時に描いた「晩夏午后」は電柱がない作品。これは作品の完成間近に関東大震災が発生し自宅が半壊、あまりのショックで続きを描けなくなり最後に描き入れる予定だった電柱を描くことなく完成としたんだとか。電柱のあるなしで状況の違いもわかるのですね。
第5章 帝都 架線の時代
明治後期から昭和にかけて東京の街に電車が登場。山脇信徳「雨の夕」はお茶の水の夕景を描いた作品で背景にニコライ堂が見える停車場の景色。ニコライ堂ってずっとニコライ堂なんだなぁ。お茶の水だと言われなければヨーロッパの街角と思ってしまいそうな景色。日本のモネと言われていたそうでなるほどサン・ラザール駅を思わせます。
第6章 伝統と電柱ー新しい都市風景
ここは川瀬巴水ワールド。個人的に今アツい新版画の川瀬巴水の街を描いた作品が多く特に雨や川といった水が登場する景色の表現がとても好きです。鏑木清方に最初師事しますが伊藤深水の作品に影響を受けて新版画に転向。そしてその伊藤深水の作品も併せて展示してありどちらも鏑木清方に一度は入門してるんですよね。好きな絵の傾向ってやっぱり似てくるんだなあ。そして伊藤深水を調べたら娘がなんと朝丘雪路でした。えええ!?知らなかったよ。お嬢様だとは聞いてたけど。そうなんだ。
川瀬巴水と吉田博で隅田川岸の同じ景色を描いた作品があり「浜町河岸」「東京拾二題 隅田川」巴水は電線あり、吉田博は電線を描いておらず、それぞれ何を重要視してるかわかりますね。吉田博は山の作家だけに人工物は極力避けたいんだろうなぁ。川瀬巴水は都市の作家なんですね。
第7章 災害と戦争 ー切れた電線、繋ぐ電信線ー
社会インフラとして普及した電柱や電線が災害で被害を受けると市民の生活に大打撃を受けるというのはいやというほど見てきましたがここでは明治の三陸大津波の被害時の様子を描いた作品や関東大震災時の様子などを描いた当時の新聞の絵がありました。
特に津波にのまれる様子を描いたものは311のときの映像を思い出します。それでも6/15に津波が発生したけど7/1には復旧したとか。
西澤苗畝(てきほ)の大正震災木版画集「黄昏の日本橋」では無事だった日本橋の麒麟像が設置された柱と何本もの垂れ下がった電線が描かれてて当時の人はどんな気持ちでこの景色を見たのかなぁと思ったりしました。麒麟無事でよかった。
第8章 東京の拡大 ー西へ西へ武蔵野へー
銀座や日本橋、上野、浅草といった東京の下町の風景を描いた作品から都市化が西へ広がるにつれて描かれる場所も変わります。
佐伯祐三の「下落合風景」は東京のはずなのに空がパリみたい。こちらも先日東京国立近代美術館のMOMATコレクションで「ガス灯と広告」という作品を見てきましたがそちらの作品に比べるとどこか覇気がないというか焦点があってないように見えるのは気持ちがパリにあるからなのかなぁ。
電柱とは関係ないのですが馬の画家こと坂本繫二郎の「三月頃の牧場」という作品は雑司ヶ谷の牧場を描いたんだとか。大正4年の作品ですがまだ牧場があったんですねぇ。
第9章 ミスター電線風景”朝井閑右衛門と、木村荘八の東京
今回初めて知った画家の朝井閑右衛門。とにかく同じ場所から描いた電線風景の連作。
アトリエから見える電線が交わる光景を構図もほぼ同じで描き続けた作品群。モネの睡蓮といいセザンヌのサント・ビクトワール山といい同じモチーフを描き続ける執念というか執着というか画家からすると同じ風景に見えないのでしょうね。書いてるうちにタッチも変遷も見えるところが面白い。
木村荘八の「東京繁盛記」の挿絵はどれも当時の東京の様子が見えて随筆は読んだことないけど内容と併せて読むとより楽しいだろうなぁ。永井荷風の「墨東奇譚」の挿絵も担当してたのですね。
第10章 碍子(がいし)の造形
今回一番のツボはこれでした。磁器製の大小さまざまなデザインの碍子が並んでて艶と輝きと造形がまさにアート。
以前ブラタモリで有田に行ったときに有田焼の碍子が紹介されてましたが良質な磁器が制作されるところで発達したんですね。
第11章 電柱 現実とイメージ
戦後の日本の風景に溶け込む電柱は変貌する街並みの記録のように描かれる一方、ヨーロッパの風景を描きながら実際にはそこにはない電柱を入れ込む作品。(岡鹿之助「燈台」)があり日本のイメージの象徴のように扱われているのが面白かったです。
海老原喜之助「群がる雀」のイメージ元としてデンセンマンの電線音頭のシングルEP盤が参考展示してあってなつかしー!となりました。年がばれる。
第12章 新・電線風景
この展覧会に興味を持ったきっかけのひとつ山口晃さんの「演説電柱」とモーニングに連載中の『趣都』「電柱でござる」の原画が展示されてます。
この漫画がめちゃくちゃ楽しい!!
設計図のように描き込まれた建物の描写と会話だけの場面のシュッとした感じ。馴染み深い谷中銀座が登場したり時代設定も素性もよくわからないのですが登場人物がチャーミング。柱華道ってもっともらしく語るシーンとかほんとに?って感じになりますがだんだん電信柱もアートに見えてくるから不思議。
2015年水戸芸術館で開催された「前に下がる 下を仰ぐ」展でも実物大の電柱オブジェを展示していたりと電柱愛の強い方なので作品内にも世間の電柱に対する認識に新しい見方を提示し、固定観念にとらわれないものの見方にとても感嘆したのでした。この方やっぱり好きだわー
他にも写真のように精巧に描かれた水墨画の「往来~京王9000系ー」という作品に驚愕しました。てっきり写真だと思って眺めてたらキャプションに「紙本水墨」とあってはぁ???ってなったのでした。超絶技巧とはまさにこのこと。
久野彩子「35°42′36″N,139°48′39″E》(Skytree)」は最初ただ木箱が積んである作品なのかなと思ってよくよく見て見たら真鍮で制作された細かなパーツが散りばめられててっぺんにはスカイツリーがのっています。まず蝋で元となる形を制作しそれを金属で固めて熱を加えて蝋を溶かし、そこに真鍮を流し込んで制作しているそう。いやー今だわ。
展示会場の外に出たら加古里子さんの「でんとうがつくまで」の絵本も置いてあって細かなところまで行き届いてるなぁと思いました。
とまぁ、実に12もの章に分類された電柱と電線をめぐる旅。かなりの見ごたえで思わぬ宝箱を見つけたようなとても素敵な展示会でした。
練馬区立美術館は規模は大きくないけど企画がユニークな展示が多く気になるものが多いのですが最近はなかなか足を運べず、今回3年ぶりぐらいに訪れたのですがやっぱり楽しかったですね。敷地内の広場には動物のオブジェが点在していてその間を子どもたちが元気に駆け回っているという環境もよくとても気持ちの良い場所です。
駅から近いのも嬉しいしまた来ようっと。
川合玉堂展 ー山﨑種二が愛した日本画の巨匠ー
桜を散らすような雨が降る日曜日(3/28)に行ってきました。
山種美術館創立者の山崎種二と交流のあった川合玉堂の作品を振り返る展覧会。近代日本画コレクションが充実している山種美術館らしい展覧会でした。個人の趣味で集めた作品を収蔵している美術館はテイストが一環しているので好みが合えば大抵外れがないんですよね。そういう意味で山種美術館のコレクションは行けば必ず好きな作品に出会えるので楽しみです。
川合玉堂は最初は円山四条派を学び、その後狩野派の橋本雅邦の作品に感銘を受けて師事したとのことで双方の技法の良いところを取り入れながらも山の描き方は独自の世界を切り開いててむしろ印象派とかに近い。一昨日国立近代美術館で長瀞での川下りの様子を描いた「行く春」という屏風絵を見ましたがこちらには屏風絵の展示はなく、個人の邸宅に飾るような珠玉の作品群が揃っていました。
- 好きな作品① 荒海(昭和19年)
クールベの絵を思い出しました。日本画で波打ち際に打ち寄せる波を描いた作品といえば東山魁夷が思い出されますがそれよりも印象派(クールベは印象派ではないけど)に近い感じがします。日本の美しい風景を描いた画家なのに不思議です。
川合玉堂《荒海》(山種美術館)は、戦時中の昭和19年に開催された文部省戦時特別美術展の出品作。荒波と微動だにしない岩が描かれた本作は、神奈川県富岡(現・横浜市金沢区)の別荘・二松庵での写生に基づいて描いたとされています。(山崎) pic.twitter.com/iniAteDwrp
— 山種美術館 川合玉堂展 開催中! (@yamatanemuseum) 2017年12月4日
と思ったら同じような感想を書いてる方がいました。
戦後は奥多摩に住まいを移し山村の風景を描いた作品を多く残してますがますます印象派に近くなっているような気がします。
- 好きな作品② 残照(昭和27年)
晩秋の山が夕闇に包まれようとする瞬間を描いた川合玉堂《残照》(#山種美術館)。夕焼けの光が山を赤く染める色彩と墨のバランスが絶妙な作品。山道には一日の仕事を終え、家路につこうとする馬と馬子が描かれています。(山崎) pic.twitter.com/gaYeX26C7V
— 山種美術館 川合玉堂展 開催中! (@yamatanemuseum) 2021年3月25日
日本の風景でありながら表現は印象派。日本画に登場する山は中国の山水画の手法で描かれていましたがこの頃になるとあるが見たままの山の姿を描くようになっています。先日、山の画家と言われる新版画の吉田博が山を描いた作品を見ましたがそちらに近い感じ。
- 好きな作品③ 高原帰駄(昭和30年)
蓑を身にまとって家路へと向かう馬子と馬の姿が目を引く川合玉堂《高原帰駄》(山種美術館)。一方、背景にそびえる雪山は、墨の絶妙な濃淡とにじみ、下地の塗り残しだけで巧みに描かれ、玉堂の優れた画技と表現力がうかがえます。(山崎) pic.twitter.com/ZGTRAE1juu
— 山種美術館 川合玉堂展 開催中! (@yamatanemuseum) 2017年12月20日
これも山ですがモネの描く睡蓮のように色の濃淡で描き分けられてます。見れば見るほど印象派。面白いなぁ。
展示されている中で2点ほど写真OKな作品がありました。
木の描き方は円山四条派っぽくて山肌の表現は狩野派というような。全体の雰囲気は文人画という感じなのですよね。やっぱり本人の性格が風流人ぽかったのかなぁ。どこかゴッホにも通じる感じもあるような。
狩野派の影響がありつつも遠景の滝に印象派風の片鱗が見え隠れ。浦上玉堂(同じ画号ですが意図的?なのか?特にそのあたりに言及してる記事は見当たらないけど)や池大雅のような抜け感もあって。戦後の奥多摩時代にこのあたりの作風が昇華されていくのですね。
解説文によるととても穏やかな人だったそうで画家とか芸術家はアクの強い人多そうだけどそういうこともなく初代館長山﨑種二さんとの書簡のやり取りを読んでもとても常識人と言う感じ。作風にもそれが現れて穏やかで温かみがある作品が多いです。俳句にも親しんでいて書も嗜んでいたようですが、↑にも書きましたが文人画の雰囲気がありますね。志向に通じるものがあるのかなぁ。
横山大観と川端龍子と3人で松竹梅をテーマにした作品を描いてるのですが3人の個性がよく出てて面白かったです。大観は堂々と、龍子は個性的、玉堂は柔らかい。玉堂がアクの強い二人の間を取り持っていたというのがよくわかります。
そして、第二展示室へ。
第二展示室には玉堂に関連する画家の作品群があり玉堂が衝撃を受けたという狩野派の橋本雅邦の作品は堂々たる狩野派らしい作品でした。明治期の作品ですが江戸時代から変わらず伝統を引き継いでるなぁという感じ。
玉堂の弟子の児玉希望の「モンブラン」は玉堂の山の描き方の影響を受けてますね。描いてるのが日本の山じゃなくてモンブランなのでなおさら印象派風(しつこい)です。面白いのが日本の洋画家が油彩で描いても印象派らしい作品にならないのに日本画の手法で描くと印象派に見えるんですね。何でだろう?
ひとしきり作品を堪能したあとはロビー横にあるカフェで和菓子を頂きました。毎回展示作品に合わせた和菓子をカフェで提供してくれてます。いろいろ迷って海の絵に惹かれたので「波しぶき」にしました。
これで3日連続美術館通い。楽しいんですがさすがに頭が疲れてきました。しかもこの日は展覧会のあと舞台「刀剣乱舞 天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-」のライブビューイングに行ったのでかなりグロッキー(死語)でした。
映画、舞台、美術展が私の余暇の楽しみの3本柱なのですが(以前はサッカー観戦が一番大きな比重でしたが残念ながら最近は年に数試合になってしまったので除外)
美術展が一番気分転換になり頭も心もリフレッシュできます。コロナ禍以降日時指定券が必要だったりしますが時間に縛られないという自由度が高いところがポイント高いんですよね。美術館に入ってしまえば見方は自由。見る順番も変えられるし通り過ぎた後に戻ってもいいし、気に入った絵の前でしばらく立ち止まってもいい、好きに過ごせるところが居心地よく人と合わせることが苦手な私にとってこれ以上ない場所です。
といってもさすがに3日連続になるとちょっと情報量が多すぎて処理しきれない。もう10年?若かったら入ったかもしれないけど記憶力がバカになった今だと定着するのに時間が必要なのでもう少し間空けた方がよかったかも。まぁ充実したのでよかったんですが。
昨年見られなかった分を取り戻すように次から次へと見たい美術展が目白押し。
頭をフル活動して堪能したいと思います。
博物館でお花見を2021
昨年は開催できなかったので2年ぶりとなる東京国立博物館<トーハク>でのお花見に週末の土曜日に行ってきました。ちょうど庭園の桜も見頃を迎え天気もよくてお花見日和。
ただ庭園は通行止めの区域が広く本館1Fバルコニー前面の池の前までしか入れませんでした。ちょっと寂しかったけど池の水面に桜が映えてうららかな雰囲気でした。
(ちょうど今日知ったのですが工事は完了し4/1から全面開放とのこと。桜の満開の頃に合わせたのかもしれないですねぇ。今年は桜が早かった)
長期間工事を行っていた本館北側の庭園を4/1(木)より、全面開放いたします。
— トーハク広報室 (@TNM_PR) 2021年3月29日
リニューアル後の庭園は、園路を新しく舗装したことで、より歩きやすくなりました。年間を通して開放していますので、季節の花々や草木をご覧いただきながら、ぜひ散策をお楽しみください。https://t.co/xn0KCrGKo3 pic.twitter.com/ZDZr0pnyt5
桜をモチーフにした作品がたくさんあって見どころがもりだくさん。
アプリをダウンロードするとクイズ形式のスタンプラリーがあって桜マークのついてる作品の箇所でクイズに答えて正解するとスタンプがもらえる。
全部で6か所あってすべて埋まるとおめでとう画像がもらえます。真面目にやってしまった。
さくらモチーフ以外にも今回は興味深い作品がたくさんありました。
庭園を見た後、本館2Fを回るいつものコースで見た順番からあげていきます。
- 和紙懐紙 後奈良天皇筆(本館 3室 宮廷の美術ー平安~室町)
国宝室もすっ飛ばして3室からかよ!すいません。国宝の虚空蔵菩薩像はもちろん素晴らしかったです。
後奈良天皇は後柏原天皇の第二皇子で名は友仁。署名にある方仁とは正親町(おうぎまち)天皇のこととのこと。幼い天皇に代わって父帝である後奈良天皇が筆を執ったものらしいです。解説文に当時の朝廷は困窮し即位もままならなかったとありますが、そういえば先日まで放送していた大河ドラマ「麒麟がくる」でも御所の塀が壊れているのに修理もできず何年も放置されてるって描写がありました。正親町天皇は坂東玉三郎さんが演じてらして存在感が抜群でしたねー。
室町時代の禅僧霊彩の作品です。作品数も多く残っていないようですが鎌倉の円覚寺に由来しているらしく関東の禅僧のようです。初めて見る作品ですが線の美しさと文殊菩薩の表情、とぼけた獅子の表情などとても心惹かれる作品でした。
今回の禅美術は関東の水墨画シリーズでした。謎の多い一之の作品と伝わっているもの。いやーなんかいいですね。ゆったりした表情といい波打つ衣に渦巻く川といい、すでにデザインが完成されつつあります。これ15世紀の作品ですもんね。素晴らしいなぁ。
- 山水人物図 仲安真康筆(本館3F 禅と水墨画―鎌倉~室町)
関東水墨画シリーズは掘り出し物って感じがしました。いや私が知らないだけですけど。水流の表現は一之とも共通し、その関係の注目され、関東水墨画の中心的存在の祥啓の師匠ともいわれますが確かな経歴は不明とのこと。解明されてないことが多いんですね。そんな謎めいたところも惹かれます。
- 大原御幸図屏風 長谷川久蔵(本館7室ー屏風と襖絵 安土桃山~江戸)
長谷川等伯の息子久蔵の作品。25歳という若さで急逝したため現存する作品が少ないので貴重な一品。父親を超える才能があったとも言われる久蔵ですが確かに等伯とは違った華やかさと繊細さを感じる作品ですね。どちらかといえばやまと絵の影響が大きいような。個人的には後白河法皇と建礼門院徳子がひそかに平家を弔っているという構図がエモくて好きだなぁと思った作品。
- 源氏物語図屏風 絵合・胡蝶 狩野<晴川院>養信(かのうせいぜんいんおさのぶ)
木挽町狩野家9代目狩野<晴川院>養信の作品。葛飾北斎と同時代ですかね。江戸も後期なので青の顔料の鮮やかさが印象的。
この時代に源氏物語の屏風絵を依頼するのは誰なんだろう?と思ってしまいますね。庶民の感覚との乖離を感じてしまうなぁ。人気の画題なんでしょうけど。
- 草花屏風 喜多川相悦
以前、メアリー・カサット展で彼女が影響を受けた作品として喜多川相悦の屏風絵が展示されていたのを見てそのときは歌麿じゃないんだと思ったんですが(歌麿の浮世絵も一緒に展示されててややこしかった)全然関係なく、むしろ俵屋宗達の系譜のようです。なるほど琳派に繋がる作風だと思いました。たらしこみや没骨(もっこつ)を駆使した表現がよかったなぁ。
- 流水四季草花図屏風 酒井抱一 (本館8室 書画の展開 安土桃山~江戸)
そして琳派継承者の酒井抱一の屏風絵。水流の表現は図式化されていて草花は写実的。そのバランスがとてもとても美しい。酒井抱一さまの作品は心が洗われます。涼やかでこちらの気持ちがスッとします。
- 春草図 村越其栄
抱一さまの屏風の横には抱一の弟子鈴木其一に師事した村越其栄の春草図。抱一から見れば孫弟子?でしょうか。たんぽぽや桜草、竜胆など可憐です。この並びよいなぁ。
土佐派から住吉派を起こした如慶の代表作とのこと。徳川四代将軍家綱の正室高厳院のために描かれたものだそう。土佐派らしい優雅な絵巻物。じっくり見ると着物の柄や庭の草花、室内の屏風絵など細かなところまで仔細に美しく描かれてて見入っちゃいます。先日の根津美術館にあった如慶の弟子具慶の源氏物語屏風絵に繋がりますね。具慶は5代将軍綱吉に仕えて御用絵師に返り咲いたということなので、如慶の頃から将軍家との繋がりができてたんですね。ふむふむ。
- 徳川斉昭 書状
先ほどの「麒麟がくる」に続いて大河ドラマネタ。今放送中の大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する徳川斉昭の書状。当時としては珍しい鉛筆書きです。送った相手は林復斎という儒学者でペリーとの条約交渉も行った人物とか。ドラマには登場しないですけどね。斉昭は攘夷思想の持主でしたが異国のものは積極的に取り入れて進歩的だったのですね。
ここまでが総合文化展の常設展示で気になった作品。
他にも「博物館でお花見」と同時開催で4/13から開催予定の特別展「鳥獣戯画のすべて」に合わせた「鳥獣戯画スピンオフ」
もという企画ものもあり動物モチーフの作品もフィーチャーされててあっちにもこっちにも見るべきものがあって思った以上に見て回るのに時間がかかりました。鳥獣戯画楽しみだなぁ。模写で甲乙丙丁の全4巻が展示されてたのでいい予習になった。甲巻がやっぱり一番楽しみです。日時予約券が出るからあほみたいな行列ができることはないだろうけど絵巻物はじっくり見るのは至難の業だからなぁ。体力温存して臨まねば。
最後にVRシアター洛中洛外図屏風舟木本を鑑賞。岩佐又兵衛の変態っぷりがよくわかった。また公開されるときが楽しみ。
なんだかんだで途中休憩しつつ3時間くらいいました。それでも毎回駆け足になってしまう。VRシアターのフロアにあるクメール彫刻も毎回じっくり見たいと思っているのに。(カンボジア行きたいよぉ)
桜だけじゃなくてすでに躑躅も咲き始めているトーハク。また来ますわ。
あやしい絵展 前期
3月23日から国立近代美術館にて開幕した「あやしい絵」展に昨日(3/26)に行ってきました!
めちゃくちゃ好きなタイプの作品ばっかりでした。やーよかった!
行きたい美術展が重なって土日の予定を組むのが難しい中、
緊急事態宣言が解除されたことに伴い金・土の夜間開館が復活!
金曜日の閉館時間が20:00となったため仕事帰りに行けました!やった!(ちなみに国立の美術館全部が延長しているわけではなく東京国立博物館<トーハク>は今日行ったら17:00閉館でした。このあたりは施設によって対応が違うようです。)
前期が3月23日から4月18日、後期が4月20日から5月16日なのですが中には4月4日までとかなり展示期間が限定されている作品もあったのでこれは早く行かなくては!と思っていたのでこの開館時間の延長はとても有難い~
職場が国立近代美術館に徒歩で行ける場所にあるので仕事をさっさと切り上げていそいそと満開の桜を眺めつつ美術館に向かいました。
皇居のお堀まで来るとちょうど桜がお出迎え。写真を撮りつつ入口に向かいました。
美術展のサブタイトルは
「絵に潜む真実、のぞく勇気はありますか?」
のぞきましょうぞ!
今回は多くの作品が写真撮影OKとなっています。これも嬉しい。音声ガイドは平川大輔さん。情感たっぷりなナレーションが素敵。
入口すぐに展示されているこちらの猫が案内人。
\今日は #猫の日 /
— あやしい絵展【公式】 (@ayashiie_2021) 2021年2月22日
あやしい絵展のアイコンは、稲垣仲静が描いた《猫》という大正8年頃の作品🐈背景には後光のような光が差しており、かわいらしいというよりは神秘的と形容する方がふさわしい雰囲気を醸し出しているにゃ✨ あやしい絵展会場では、こちらの猫が鑑賞を楽しむお手伝いをいたします! pic.twitter.com/w6CK0RA7Tr
今回は好きな作品多すぎなので構成順に感想を書いていきます。
1章 プロローグ
激動の時代を生き抜くためのパワーを求めて(幕末~明治)
プロローグの前に入っていきなり「生人形(いきにんぎょう)」がお出迎え。生人形とは江戸時代の見世物小屋で人気だった出し物らしく人間そっくりに作られた人形で唇とかめちゃめちゃリアルでかなり気持ち悪かったです。この時点でこの先にかなり期待しちゃう。
幕末から明治にかけての作品は曽我蕭白の美人画や歌川国芳の妖怪絵、月岡芳年の血みどろ絵(大好き!)などが並びもうわくわく。
曽我蕭白の「美人画」は4月4日までの展示。こちらも今回のお目当てのひとつ。
\作品紹介/
— あやしい絵展【公式】 (@ayashiie_2021) 2021年2月10日
曾我蕭白《美人図》
ビリビリに破けた文を口にくわえた女性。背後に描かれた墨蘭、着物の中国風の山水模様は中国・楚の政治家・詩人の屈原を想起させると言われているにゃ。彼は王の側近として活躍しましたが妬まれて失脚し、恨みと悲しみの念を抱えながら汨羅に身を投げたといいます🐈 pic.twitter.com/UCrmP9rlb4
蕭白ブルー(勝手に呼んでる)の着物に描かれた中国山水画は陰謀によって失脚した中国・楚の政治家・詩人の屈原を表してるんだそう。なるほどー着物の柄にそんな意味があるなんて。言われなければ綺麗な柄~ってただ感心してしまうところでした。ボロボロに噛みちぎった手紙?絵巻?に悔しさが滲み出てますね。
2章 花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)
ここからがこの展示会の本丸。
2章―1 愛そして苦悩ー心の内をうたう
明治から大正にかけては西洋絵画に影響を受けた作品も多く藤島武二の版画とミュシャの作品が並んで展示されてて見比べられるようになってるのはよいなぁ。武二の「みだれ髪」の表紙はよく見るけど実物は初めて見ました。ハート形の枠内に女性の髪を描いててめちゃくちゃオシャレです。ロセッティも一緒にあってこの並びは少女漫画の原点を見ているようでした。
2章ー2 神話への憧れ
ここでは青木繁の作品群がまとめて見られたのもよかったです。
「大穴牟知命(オオナムチノミコト)」は古事記の一場面を描いてるんですがじっとこっちを見る女性と倒れてる男性の肉体がリアルで神話の一場面というより実際に何か事件が起きた現場の絵という感じ。女性はこっちを見ながら自分の乳房をつかんでるっていうのが不思議なんですが。
2章ー3 異界との境(はざま)で
ここにお目当ての一つ鏑木清方の「妖魚」がありました。4月4日までの展示。写真はNGでした。
東の清方、西の松園と言われるように美人画に定評がある清方さまですがこちらは単なる美人画ではなく下半身が魚で上半身は人の姿をした人魚を描いた作品。アンデルセン童話の人魚姫のイメージとは全く違います。髪は乱れ手にはなぜか魚を握っており妖しい目でこちらを見ています。何なんだこの美しさは…。体にまとわりつくような長い髪はそちらに行ってはいけないけど惹かれずにはいられない異界の生き物という感じ。いやーいいなぁ。
人魚シリーズはなかなかインパクトのある作品が多かったです。谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」の挿絵となった水島爾保布の作品はピアズリーを思わせる作風でめちゃくちゃ耽美的。
安珍清姫(道成寺)シリーズも作家によって描き方が様々でした。小林古径の「清姫 鐘巻」は清姫はいなくて龍が描かれてるんですけど丁寧に描かれててどことなく愛嬌もありかわいらしい印象でした。この展示会においては清涼剤みたいな印象。龍だけど。
今回初めて知った作家のひとりが橘小夢で様々な作品が展示されてたんですが一番強烈だったのが「刺青」。谷崎潤一郎(また!)の同名小説をテーマにした作品らしいのですがエロすぎるでしょう。
小説そのものが変態じみてるんですが絵で表現すると生々しくてこれ春画と同じじゃないですか??って感じです。いやもちろん出しちゃいけないところは出てないですし直接的なことは描いてないんですけど背中全面に女郎蜘蛛の刺青入れて喜んでるとかはぁ??って感じなんですけどまた蜘蛛が足の毛の一本一本まで細かく書かれててうなだれる女性に覆いかぶさってるようでいやこれ大丈夫?好きです!
2章ー4 表面的な「美」への抵抗
北野恒富の「淀君」は迫力ありました。めっちゃ肩幅しっかりした淀殿でこの人だったら死なずに薩摩に逃げ延びられたんじゃないかっていう気がしました。
固定概念にある「女性の美」というものに抗うような強い作品が多かったです。
なかでも甲斐庄楠音のシリーズは未完の「畜生塚」が鬼気迫るものがありました。いくつか裸体の上から着物の下書きがあってまず裸を描いてから着物を描く予定だったんじゃないかとのこと。こんなに裸を描いてから着物かくんかー彫刻みたいだな。
2章―5 一途と狂気
鏑木清方の金色夜叉の挿絵が堪らんかった!オフィーリア!!って感じの儚さ。もっと近くで見たかったー写真も不可だったのでお伝えできず残念。
他にも浄瑠璃「冥途の飛脚」を題材にした「薄雪」もよかった。浄瑠璃関係では「心中天網島」を題材にした北野恒富の「道行」もどうにもならん男女に二人の気持ちとは無関係に飛び交う鴉が不吉でよかったなぁ。
4月4日までの展示品の中の目玉といってもいい上村松園先生の「焔」もこちらのコーナーに。写真NGだったので以前トーハクで撮影した写真貼っておきます。
「あやしさ」がテーマとなった作品群の中でも堂々たる風格を持ってお出ましでした。トーハクの近代絵画の部屋で拝見するのとはまた違った趣です。源氏物語の葵上の巻に登場する生霊となった六条御息所を描いた作品です。生霊だから幽霊ではないのに足元はぼんやりと円山応挙の描く幽霊美人画のように消え入っていて髪の毛も輪郭がぼやけて現実味がない雰囲気なのに藤の花に蜘蛛の巣を描いた着物の柄は細かい線で描き込まれているという濃淡が美しいです。恨みつらみを抱えてる表情はどこか物悲しく切なさも感じます。松園さまの描く女性は生霊でも品があって美しいです。
よく見ると伏し目がちな目は裏側から金泥を塗り込んでいて能面で目に表情を加えるときと同じ工夫をしているとか。当時松園はスランプだったらしく情念をここに「ぶちこんだ」(音声ガイドでそう言っていた。ぶち込むって…)そうです。ぶち込んでてもどこか上品なんですよね。そこが好き。
3章 エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末から昭和)
雑誌や新聞小説の挿絵に描かれた作品が並んだコーナー。小村雪岱の版画作品が最後にどどんと並んでたのは嬉しかった。三井記念美術館で現在開催中の「小村雪岱」展行かねば!新聞小説の挿絵シリーズだけど全部結構エロいんだよなぁ。刺青ってやっぱりなにか掻き立てるものがあるのかしらん?
いやーーとにかくボリューム満点で面白い展示会でした。ミュージアムグッズも充実。荷物が多くて見送りましたが後期で買おう。
そして同時開催の恒例の「美術館の春まつり」
美術館の春まつりは春らしい花を描いた作品が並んでふんわりと華やかな空間でした。特に跡見玉枝の色んな品種の桜を描いた絵巻物はこんなに桜って種類があるのねってくらい描き分けられててきれいだったー。
そして先日見てきた笠松紫浪や川瀬巴水の新版画の春を描いた作品群もあってめっちゃテンションあがったー嬉しい!
他にもMOMATコレクションの展示替えもあり夕方からの入館では駆け足で回るのが精いっぱい。もうちょっとゆっくり見たかったなー
日が傾きかけたころに入館し出るころはすっかり夜桜。次に来るときは新緑の頃かな。
「筆魂 線の引力・色の魔力 又兵衛から北斎・国芳まで」後期
前期に続いて行ってきました。
土日は混んでるようですが平日の夕方だったのでとても空いててゆっくり見れました。
前期の記事はこちら↓
まるっと入れ替わった後期の展示。前期に続いて見ごたえたっぷりでした。
1.心に残った作品
後期はこれが一番のお目当てでした。平家物語の巻一「祇王」の一場面を描いたこの絵は加賀の白拍子・巴御前が清盛の寵愛を受ける祇王の薦めで舞を舞う場面。岩佐又兵衛はやらしい顔した人物を描くのがほんとにうまくて周りで見物している殿上の面々が乗り出して美しい仏御前(図録には巴御前とありましたが間違いですね。同じ内容の展示紹介は「巴」の箇所にテープが貼られてて「仏」と修正されてました)の舞をデレデレした表情が堪らんです。清盛も祇王にぞっこんだったのに仏の舞に表情が緩んでて対照的に女性陣の冷ややかな顔とかとても意地悪で岩佐又兵衛の陰湿さ(褒めてます)がよく出てる一枚ですね。大河ドラマの「平清盛」では仏の役を木村多江さんが演じてましたねえ。素敵でした。
- 勝川春章 竹林七姸図
勝川春章の肉筆画はよいですね。中国の故事「竹林の七賢」を7種類の女性で描き分けたこの作品はとりわけ華やかで春章の良いところが全部入ってるような気がします。花魁、町芸者、芸者風の女性、町娘、御殿女中などそれぞれの特徴が着物の柄や仕草や表情で描き分けられていて様々なタイプの美人画を堪能できる作品です。
前期は「登龍図」で登る龍、後期は雲の中から姿を現す龍。どちらも禍々しく鱗と爪の表現が中国の伝説の生き物というより英語のDragonという感じ。ハリーポッターとかに出てきそうな魔法使いが背中に乗っててもおかしくないような造形で北斎は西洋絵画も技法も身に着けていたようなのでその影響もあるのかなぁと思ったりしました。
2.全体を通しての感想
お気に入りに挙げた3作品以外でも喜多川歌麿の「隈取する童子と美人図」は美人画に家族という要素を入れた美しく可愛らしい作品。どうやっても色っぽい。
鳥文斎栄之の「読書する美人」は春画でも取り入れられているという顔や首の輪郭線に紅が用いられた肌の質感がなんとも艶やか。版画の浮世絵では表現しきれない豊かな色味が肉筆画のよいところですね。肉筆画の春画も見てみたい。エロいだろうなぁ。
後半の葛飾北斎パートはリアルでちょっと滑稽な「魚介図」やだいぶ濃い顔の「面壁達磨図」などの独特な筆遣いの作品や「花籠の蝶図」の牡丹と蝶の柔らかでふんわりとした表現、かと思えばおどろおどろしい「生首の図」などありとあらゆるものを技法を駆使して貪欲に描いた北斎の画業を凝縮した展示になってますね。舞台「画狂人北斎」の2018年上演版(現在最新作が上演中ですね)をDVDで見たのですが北斎が死人が出たときに身体の構造を正確に知りたいんだと高山鴻山に頼んでこっそり解剖してるところを見せてもらうというシーンがあったのですが、打ち首された死体とかも見に行ったりしてたんでしょうね。こちらの作品は83歳のときの作品で「雲龍図」は亡くなる前年の作品とかで晩年になるほど絵に凄みが出てくるのが北斎の恐ろしいところだと思います。
前後期合わせて多くの絵師の多彩な肉筆画が見られてとても楽しい展示会でした。知らなかった絵師の作品もか多く、特に上方絵師はなかなか見る機会がないので嬉しかったですね。やっぱり暗い岩佐又兵衛が最高だと思いました。MOA美術館行けるかなぁーーー
で見た「山中常盤物語絵巻」が衝撃的だったのですよね。凄まじくて。
むーん。行きたい。
3.おまけ
山崎龍女という絵師の紹介文に「閨秀(けいしゅう)の画家」と紹介があって閨秀って何?と調べたら「学問や芸術に優れた女性」のことでした。以前も小説か何かで見てたのにすぐ読み方忘れちゃう…忘れないために書いときました。
外に出たらまだ明るくて薄暮の空に三日月が浮かんでました。春ですねぇ。
笠松紫浪展 最後の新版画
前日の吉田博展に感動し、同じ新版画家の作品を見たいと思って根津美術館からハシゴして見に行ってきた「没後30年記念 笠松紫浪展 最後の新版画」@太田記念美術館
ちょうど2年前に同じく太田記念美術館で開催されてた「小原古邨展」もよかったので今回も期待。
美術館のTwitter公式さんが毎日新版画対決といって対比する作品を両者の作品を連日あげて頂いてたのにも後押しされました。
https://twitter.com/ukiyoeota/status/1369141255628673024
↑は一例です。この構図とても好きです。
リーフレットより
新版画とは大正から明治にかけて絵師、彫師、摺師の協同作業によって制作された木版画のことです。版元である渡邊庄三郎が提唱し伊藤深水、川瀬巴水(はすい)、吉田博、小原古邨といった絵師たちによって新しい時代に見合った版画芸術が次々と生み出されました。笠松紫浪(1898~1991)は、大正から昭和にかけて活躍した絵師です。鏑木清方に入門して日本画を学び、大正8年(1919)、版元の渡邊庄三郎から新版画を刊行しました。その後、昭和7~16年(1932~41)には、モダンな東京の街並みや温泉地の風情を淡い色彩で表現した新版画を、数多く制作しています。戦後は渡邊庄三郎から離れ、昭和27~34年(1952~59)、芸艸堂から版画作品を刊行しました。新版画の初期から関わり、戦後になっても精力的に版画を制作し続けたという意味で、紫浪は「最後の新版画家」であると言えるでしょう。
1.心に残った作品
- 越後柏崎
降りしきる雪と川と橋が美しい作品。この作品以外にも雪とか雨を描いた作品が多くどれも素敵でした。特に雪の表現がしんしんという音が聞こえてきそうな静かな雰囲気を漂わせててよかったです。
- 春の雪 浅草鳥越神社
こちらも雪ですが降ってはおらず神社の境内や屋根に積もった雪と夜空とぼんやりともる神社の灯が美しい作品です。閉じた傘を手に持つ親子の後ろ姿と雪の中お参りした人の足跡が残っていたり雪が止んだ夜の神社の日常を切り取った構図もいいですね。屋根の雪はバレンの跡を残して摺りあげていて版画ならではの味わいがあります。
- 雨の新橋
こちらは雨。濡れた路面に反射する光が綺麗。夜とか雨とか影とかしっとりとした風情を描くのがうまいなぁと思います。
2.全体を通しての感想
吉田博の作品に比べると小品ですがとてもモダンで色合いも美しく「暮らしの手帖」あたりに載ってそうな感じです。
亀戸天神の太鼓橋は吉田博も取り上げてましたけどどちらも歌川広重の影響なのでしょうか。構図がほぼ同じ。(↑の公式さんのTwitterで取り上げた作品)
それだけじゃなくて木を全面に描いて木越に建物を描くような構図も多く浮世絵の影響はやはり大きいのかなと思います。
壁に飾ったらそれだけで部屋がオシャレに見えるんじゃないかなっていうくらいインテリアにぴったりな作品ばかりです。
険しい山の山頂や海外の風景はないけれど等身大の目線で切り取った作品の数々は日常の中に美を探す姿勢を思い出させてくれる気持ちのよい作品たちだなぁと思いました。
3.おまけ
コロナ禍で密をさけるためなのでしょうか。絵の間隔が以前より開いてるようです。デスク型のガラスケースへの展示はなく、その代わりこれまではよほど展示数が多いとき以外は使われていなかった地下1階にも展示スペースがあり、いろいろと工夫されてるのだなと思いました。