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心茲にありと

歳三佩刀・和泉守兼定刀身公開2021秋

京王線散歩続いては土方歳三資料館へ。

年に一度行われる歳三佩刀・和泉守兼定刀身公開に行ってきました。

www.hijikata-toshizo.jp


例年は土方さんの命日5月11日に合わせて開催されるようですが今年は緊急事態宣言の影響で期間が10月に変更となったようです。
10月10、16、17日の3日間、1回につき30分30人に入場を限定し完全事前予約制での開催でした。
予約開始日の翌日に申込み、空いてる回がちょうどこの日(10/16(土))の回だけだったのですがなんとか取れました。ふー。
通常の資料館の開館日は第一、三日曜とのことなので特別開館日だったのですね。
近くに井上源三郎資料館や佐藤彦五郎資料館などもあり、できれば一緒に回りたかったのですがそちらは第一、三日曜日のみの開館だったので今回は見送りました。次は合わせて行ってみよう。


土方歳三資料館は京王線高幡不動駅から多摩モノレールで一駅の「万願寺」が最寄り駅です。
高幡不動駅からも徒歩20分くらいなので歩けない距離ではないのですが
初めての場所だし予約制で時間厳守だったので迷って遅れたらいやだしと思ってモノレールに乗りました。
見晴らしがよくて天気がよかったら富士山とか見えたりするのかなぁと思っていたらあっという間に到着。

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電車下りたら目の前にありました

駅からは案内板もあってすぐにわかりました。

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最寄りの出口を出ると通りの向こうに看板が見えたので迷わず行けました



資料館の前には歳三まんじゅうを売ってる出店が出てました。このあたりは新選組推しがすごいです。
土方さんの生家を建て直した際に自宅の一部を資料館として公開されているので
「土方」という表札が門にかかっているのでほんとにこちらで生活されてるお家なんだなぁと思いました。
土方さんは農家から武士に成り上がったみたいなイメージですが、立派なお家を見ると
このあたりでは豪農としてそれなりに裕福な家だったんだろうなと思います。
6人兄弟の末っ子だし、きっと親戚からもかわいがられてたんだろうなぁと。
などと思いながら入場時間を待っていると予約時間の15:30となり順番に中へ。
ご自宅ということで靴を脱いで入室するんですね。私はスニーカーだったんですが、編み上げブーツのお姉さんがいてちょっと大変そうでした。
入口には大きな梁と大黒柱があり、建て替えする際に以前のお家から一部移築したそうです。立派!

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歳三さんが相撲のつっぱり稽古をした大黒柱



中に入るとちょっと大きめの会議室くらいの大きさの部屋に土方歳三所縁の品々がガラス越しに展示されています。
そして正面に鎮座しているのが和泉守兼定!!兼さん!!
好きなように見るのかなと思っていたら館長の土方愛さんが座布団を敷き始め
座れる方は座ってくださいーとの声かけ。刀身について解説してくださるとのこと。
ただ時節がら直接お話されるのは控えてあらかじめ録音しておいた音声を流し
それに合わせて刀身のいろいろな箇所を指し示す方式で行われました。
お声も聴きやすくとてもわかりやすかったです。
5分程度のお話を聞いたあとは各自自由に退室時間になるまで展示品を見ることができます。
解説終了直後は兼定を見ている人が多かったので、いったん私は別の展示から。
石田散薬の薬箱や天然理心流の木刀、愛用の短冊などと一緒に
有名な豊玉発句集がありました。おおおーこれが有名な!
燃えよ剣」では「知れば迷い知らねば迷わず恋の道」という句で登場し、以降のフィクションでもそのような句で登場しますが
実際に書かれているのは「しれハ迷ひしなけれハ迷はぬ恋の道」でした。そのお隣に
しれは迷ひしらねは迷ふ法の道」という句があるのでこれを司馬遼太郎先生がうまく掛け合わせたのではないか?とのこと。
土方さんの字は思っていたより繊細で綺麗な字でした。イメージ的にもっと豪快な字なのかなぁと思っていたので意外でしたね。
そして池田屋事件のときに身に着けていたという鎖帷子。首の後ろに穴があいてて槍で突かれた跡らしいとかとても生々しかったですね。
京都時代に使われた鉢金にも刀傷があり、ほんとに命がけで戦ってたんだということがわかります。息遣いまで伝わるようで見ていて胸がつまります。
そして新選組の袖章。よくドラマで見るような新選組の旗は現存しているものはなくだんだら羽織も今は残っていないそう。新選組の「誠」の印が入っているものは袖につけるような小さな袖章のみとのこと。こちらも激戦をくぐってきたものかと思うと見ててつらくなります。
そして人が空き始めたのでいよいよ和泉守兼定の前へ。
土方家に戻ってきたときは刃こぼれもあったそうだけど昭和の始めに研ぎあげられたので少し細くなっているそう。
いやー思った以上に感動しました。刀を身に着けている土方さんの写真の前に本物の兼さんいるとちょっと震えましたね。
実際の戦闘では銃を使ったり合理的な戦い方をしてても刀を手放さなかったのは武士としての矜持があったから、という話を聞いてちょっと涙出そうになった。柄巻の柄糸の摩耗箇所から刀の握り方もわかるそうで、どうやら鍔から左手、隙間を開けずに右手という風に少し短めに握っていたようです。これは相手と対峙したときに素早く刀を振り下ろせるためでより実戦向きの持ち方なんだそう。そんなこともわかるんですね。
使っている姿や戦いの様子が思い浮かんでほんとに比喩じゃなく鳥肌がたちました。
今回は特別に島田魁佩用脇指「土佐守藤原正宗」も併せて展示。新選組隊士で箱館戦争も一緒に最後まで土方さんと戦った島田さんの刀も一緒にあるというのがエモ過ぎる。
中島登の覚書もあってはぁああああ箱館~(泣き)ってなります。
榎本武揚の「入室伹清風(にゅうしつしょせいふう)」と土方さんのことを語った書があったり、土方歳三の戦死を伝える書状(安富才助から兄の土方隼人に送られたもの)もあって、大事に保管されてきた土方家の皆さんは本当に歳三さんを大事に思っていたんだなぁと思います。
その一部を拝見することができてとてもよい時間でした。

帰りに高幡不動尊にもお参りして来ました。五重塔まであるなんて知らなかったです。

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境内も広かった

こちらにも新選組顕彰碑があり、地元の誇りなんだなぁと思いました。このあたりの方々はご一新(維新)とは言わず「幕府の瓦解」という言い方をしたそうです。幕末時の時勢が目まぐるしく変わる中、それぞれの立場で思うことは違ったんですね。

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顕彰碑の説明書き

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歳三さんの銅像


次は他の資料館も巡る時間を取って来てみようと思います。