おうちに帰ろう

心茲にありと

「河鍋暁斎の底力」展

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東京ステーションギャラリーで開催中(~2/7)の「河鍋暁斎の底力」展に行ってきました。

 

当初予定されていた海外の作品を展示する企画展がコロナ禍で中止となり急遽企画された展示会だそうです。キャプションに「下絵だけじゃだめですか?」とあるように本画はひとつもありません。西川口にある河鍋暁斎記念美術館に所蔵されている素描や下絵、手本帳や即興で描かれた席画などこれまで見てきた彩色も美しく額装されて展示されている本画とは違って描き直しのあとや表裏に描かれたものは紙を切り張りして描かれたものなど創作過程を覗き見るようでエキサイティングな展覧会でした。(会場はとても静かですけど)
本画になると弟子や娘が彩色をしていたりと暁斎の手が入ってない作品もあるそうで全て暁斎が描いているのは下絵くらいだとか。実際に各所に色指定の文字が入っていたりとちょっと漫画の原稿みたいでしたね。
漫画で言うところのホワイトにあたるのが胡粉で描き直す箇所に塗ったあとに上から線を引いていてそれだけじゃなく線も何本も引いてあって本画では見られないほどの尋常じゃない線の多さに細かいところまで拘る執着心が感じられて見入ってしまいます。

 

暁斎の年表に駿河台狩野家に弟子入りとあってその後木挽町狩野家へってあって狩野家って江戸に来てから分派したんけ?って調べたら

どうやら江戸幕府に重用された御用絵師のうち最も格式の高い役職名を「奥絵師」といってそのうちの4家が探幽の系譜の鍛冶橋狩野、尚信の木挽町狩野、安信の中橋 (なかばし) 狩野,常信の次男岑信の浜町狩野を奥絵師四家と称するらしいです。
そして奥絵師に対して表絵師というのがあってそれが
「江戸時代,奥絵師四家の分家や門人が一家を構えて独立し,江戸幕府から代々御家人格 20人扶持の待遇を得た,以下の狩野十五家の総称。駿河台狩野,山下狩野,深川水場狩野,稲荷橋狩野,御徒士町 (おかちまち) 狩野,本所緑町狩野,麻布一本松狩野,神田松永町狩野,芝愛宕下狩野,根岸御行之松狩野,築地小田原町狩野,金杉片町狩野,猿屋町代地狩野,猿屋町代地分家狩野,勝田狩野。」とのこと。

まぁ分家ってことでしょうかね。
しかし狩野派すごいな。一大勢力狩野派江戸幕府が終わったあとどうなったんでしょうかね?

その上で町狩野って名称もあってそれは
「江戸時代における在野の狩野派の画家たちの総称。門人として狩野派の画法を学びながら奥絵師,表絵師のように幕府や諸大名などに仕えず,市井にあって画業を営んだ。狩野姓を名のった者もいる。」だとか

どんだけいるんだ?狩野派

 

話が逸れました。

美術館に足繁く通うようになったきっかけが2015年に三菱一号館で開催された「画鬼・暁斎」展に衝撃を受けたことでした。この展覧会がすごかった!それまで河鍋暁斎の存在は知らなかったんですがポスターに惹かれて行ってみたらまぁとにかく幅広い!
浮世絵風の美人画や戯画化された動物絵から本格的な日本画に洋画の要素を取り入れた屏風絵などとにかくこんな人が江戸末期から明治にかけて活躍してたんだ!とびっくりでした。

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画鬼・暁斎展のチラシ



それまで大型企画展や話題になってるような美術展を中心に年に数回程度行くくらいでしたが日本美術の面白さに目覚めてからはあちこちこまめに出かけるようになりました。

以降も河鍋暁斎は人気あるのかよく展覧会が開催されており2回ほど行きました。

2017年「ゴールドマンコレクション これぞ!河鍋暁斎

www.bunkamura.co.jp

2019年「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」

www.suntory.co.jp

2015年、2019年ではいずれも「猫又と狸」が使われてて暁斎のイメージってやっぱりこの猫なんでしょうか。

私はこの猫と狸に対面するのは3回目になりますね。
見るたびに「かわいくねーなぁー」って笑ってしまいますが暁斎は猫が嫌いだったんでしょうか。歌川国芳にも弟子入りしてたみたいですがすぐに離れてしまったのは猫についての見解の不一致?だったのかなーなんて思ったりしました。

 

河鍋暁斎記念美術館には今回の下絵関連だけではなく本画ももちろんかなりの作品が所蔵されてて↑の展示会でも多く出展されていました。近場にあるので落ち着いたら一度足を運んでみたいと思います。