クールベと海展 ーフランス近代 自然へのまなざし
パナソニック汐留美術館で4/10から始まったこちらの展覧会も緊急事態宣言を受けて4/28から5/31まで休館、6/1からようやく再開されました。
6/13までと短い期間ではありますが再開されたのは何よりでした。
日時指定予約制で土日はすぐに埋まってしまったので本日午前中に行ってきました。
現時点で残り会期の予約はすべて満席となったようです。
ということもありクールベといえば海、波、という印象が強いです。
あとはオルセー美術館で「オルナンの埋葬」という超巨大絵にも圧倒されました。
いずれも美しいというより荒々しかったり地味な一般市民が描かれてたりと
生々しい表現がインパクトあるなぁ思っていました。
「波」といえば我らが葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」がぱっと思い浮かびます。
浮世絵と油彩という技法の違いによる表現方法の違いはあるのですが一番の違いは視点が違うんだなぁと今回クールベの描くたくさんの「波」群を見て思いました。
レアリスムの巨匠の目線は自分が立っている場所から見た波。なので海岸だったり砂浜から見てるからこちらに向かってくる波なんですよね。
かたや「神奈川沖浪裏」は波を横から見てる。いったいどこにいるの?位置からの構図。自分が波になったところを俯瞰で見てるようなめちゃくちゃ不思議な構図。
クールベが波をクローズアップした作品を多数描いているのは1860年代後半から70年頃
北斎が富嶽三十六景を描いたのが1831~34年。クールベが北斎の作品を見ていたかどうかわかりませんが(モネとも交流があったクールベ。モネは浮世絵フリークなので見てた可能性はあるかも)並べて見たくなりますね。
前置きはここまで。
展覧会の構成は5章立てとなっています。
第1章 クールベと自然―地方の独立
フランスのスイスとの国境に近い村オルナンに生まれたクールベが故郷の山や岩を描いた作品と同時代の他の風景画を展示。
ミシャロンの「廃墟となった墓を見つめる羊飼い」は宗教画を描くための風景になっていて風景がメインになっていない時代の作品。
コローやド・ラ・ペーニャのフォンテーヌブローの森を描いた作品はどこか郷愁を誘うような風景画です。その後に登場するクールベの「岩山の風景」を見ると郷愁というより剥き出しの自然といった感じでごつごつした岩が力強く描かれてて、自然の中で生きて恐ろしさも素晴らしさを分かった上で挑むような気持ちで描いてるように見えます。
クールベは故郷のオルナンを愛していてパリやノルマンディーの海に出かけたあとも故郷のオルナンで制作していたそうで、故郷の自然を描くことがレアリスムの表現の確立に繋がったように思います。
第2章 クールベと動物―抗う野生
自然の中で育ち、狩猟も楽しんでいたらしいクールベ。動物の描き方も野性味あふれています。特に森の中から川に飛び出してきた鹿が首をひねり身体をのけぞらせてる姿をとらえた作品は銃声と鹿の鳴き声が聞こえてきそう。
その他の作品が家畜の牛や羊を描いた作品が多い中、狩猟という場で野生と対峙していたクールベの視点はとても野心的ですね。「狩の獲物」では撃ち取った獲物を吊るし弔いのためにホルンを吹く狩人の姿を描いてて鹿に対するリスペクトと自らの行為に対する誇りも感じられます。
第3章 クールベ以前の海―畏怖からピクチャレスクへ
風景画の意味合いが大きく変わったのは18世紀後半から19世紀にかけて。産業革命によって求められるものが変化したとのこと。それまでは大航海時代に象徴されるように自国の海運を象徴するような大型船を描くための風景画だったのが風景そのものを描くようになり、ガイドブックのような役割も果たすようになったそう「ピクチャㇾスクーイングランド南海岸の描写」という全16集からなる観光案内本に。イギリス風景画の巨匠ターナーがが挿絵を描いてます。ピクチャㇾスクって、今風に言うと「映える」ってことですよね。今も昔も映える風景を求めるのは同じなんだなぁ。葛飾北斎の富嶽三十六景や歌川広重の東海道五十三次や名所江戸百景なんかも同じですよね。風景画が人気になるのは旅行が盛んになってきて実際にいろいろな景色を多くの人が見に行けるようになったからなんですね。
第4章 クールベと同時代の海―身近な存在として
フランスでも鉄道が開通し、パリから大西洋岸の町へ気軽に行けるようになりリゾート地が増えてくるとその風景を描いた作品が人気になり、ブータンやモネやカイユボットなどが作品を残してます。
海水浴してる人が絵の中に登場しますが、当時の水着はほぼ今のワンピースやジャンプスーツと変わらないデザインで、それは着衣水泳の救急訓練ですかって感じでした。当時の水着の実物も展示してあったのですが普通に街中で着れそうな服でした。当時はドレスだからそれに比べればだいぶカジュアルなんですが。へぇええ。
カイユボットの「トゥルーヴィルの別荘」は別荘の窓から見える景色をそのまま描いているような構図で、手前に木が生い茂っていてその向こうに海が見えて気持ちのよい絵でした。こんな景色が見える別荘に住んでみたい。
第5章 クールベの海―「奇妙なもの」として
最終章はクールベが描く海⇒波がずらりと並びます。ここは壮観。初めて海を見たのは22歳の時だそうですがその時家族に送った手紙に「ついに海を見た。地平線のない海を。それはとても奇妙なものであった。」と書いているそうです。
四方を海に囲まれてちょっと行けばすぐに海が見える(キレイではないが)環境に育っていると「地平線がない海」とはどのような感覚なのか想像もつきませんが、「奇妙」だからこそ、興味を掻き立てられ繰り返し描くようになったのですかね。海の絵を量産するようになったのは40代後半からのようですが、最初は海を遠景で描いてたものがどんどん視点が近くなり波だけを描くようになるのはやはりあの動きがそれまでの自然界には存在しないものだからですかね。波が盛り上がって砕ける様を絵の中に書き留めたい!という探求心なのでしょうか。引き込まれます。
コンパクトな展示室に並ぶ風景画の名作の数々を静かに眺める空間はとても居心地のよいものでした。
クールベと海展はここまで。最後の部屋は美術館所蔵のルオーコレクションが展示されてました。裸婦特集だったのですが独特の太い輪郭線で描かれた裸婦はほぼ抽象画のようでした。「花蘇芳(はなずおう)の側にある水浴の女たち」は「花蘇芳」がキリスト教を裏切ったユダの木と言われてて舞台が中東であることを表してるとのこと。「はなずおう」って初めて聞いた。花言葉は「裏切り」ですって。そんな花言葉って…
今年はルオー生誕150周年とかで「マドレーヌ」のみ写真撮影OKでした。
パナソニック汐留美術館は広くはないのでちょっと混んでくるとかなり窮屈な感じになるのですが、日時指定の人数制限を少な目にしているからかとても快適でした。無事見に行くことができてよかったー
おまけ
こちらの美術館のある汐留近辺は新しいビル群が立ち並ぶ界隈なのですが、日本で初めて鉄道が開通した旧新橋停車場のプラットフォームの一部が史跡として残っています。
併設する駅舎を再現した建物が資料室となっていて、美術館に来るたびに横を通ってたのですが入ったことはありませんでした。今回企画展「全線運転再開1周年記念
常磐線展」というのが開催されていたのでふらりと入ってみました。2階が企画展コーナーで東日本大震災で被害を受けた常磐線の歴史や特急の看板?などが並び、鉄道ファンには堪らない(と思われる)空間になってました。個人的には常磐線の最初は田端~隅田川(今の南千住当たり)を繋ぐ隅田川線というのがあったというのが発見でした。知らなかったー
半地下には駅の遺構がガラス張りで見えるようになっていて発掘された駅で売られてた急須と御茶碗などが展示されてたりとなかなか興味深い場所でした。