静嘉堂文庫美術館と国分寺崖線と太田記念美術館
「旅立ちの美術展」@静嘉堂文庫美術館の後期展示に行ってきました。最終日ギリギリでした。
前期に行ったときの記事はこちら↓
4/25から発令された緊急事態宣言を受けてこちらの美術館も5月31日まで休館。6/1から再開となりました。当初の予定(~6/6)を少し延ばし休館日なしで後期展示が開催されました。この地で最後の開催ということで先週行こうとしたら入場制限で90分待ちだったのでその日は諦めて最終日に再チャレンジということで行ってきました。美術館に到着すると待機列はなく、整理券を渡されて1階の講堂に促されそちらで番号を呼ばれるまで待つようにとのこと。静嘉堂文庫美術館についての解説DVDが流れていたのでそちらを鑑賞しながら待つこと20分くらいでしたかねぇ?思ったより早く入場できました。並ばずに入れてよかったー。
4月に見た前期からいくつか入れ替わりがありました。後期から展示されてる作品の中からいくつか印象に残ったものを。
谷文晁門下の遠坂文雍の「文王猟渭陽図 」は明の金碧山水(青緑山水)という山水画のような作品。「2.理想郷へ 神仙世界と桃源郷」の章に展示されてる鈴木鵞湖の「武陵桃源図」も同じような作風で同じく谷文晁にも師事していたようなので似てくるのかな。
聖徳太子絵伝は聖徳太子の一生を四幅の掛け軸に描いていて、修復後らしいのですがそれでもかなり傷みが大きく、聖徳太子の顔も判別できない箇所もいくつかありました。鎌倉時代の作品ですが、聖徳太子は人気があってずっと外にかけられてたのかなぁなんて思ったりしました。十二歳の頃の太子は髪が長く角髪(みずら)にした髪を垂らしていてとても美少年でした。漫画のイメージだったなぁ。
尾形光琳の住之江蒔絵硯箱は蓋甲を高く盛り上げた形をしていて、トーハクにある本阿弥光悦の舟橋蒔絵硯箱に倣った作品。琳派繋がりですね。舟橋蒔絵硯箱は直線的なデザインで住之江は波うつデザインにしているのが光琳流といった感じ。どちらも素敵です。
光悦はなんでこんなにこんもり高くしたんだろう?
前回も見てたのですが、今回改めて心に残ったのが「倭漢朗詠集 太田切」。漢字とかなが混じって一つの巻に書かれてるのがなんとも不思議で。漢字は硬くて格式ばってるのですがかなの段にくるととても柔らかくたおやかになり、字の形で受ける印象が大きく変わるのがよくわかりました。元々巻物だったものが分散しているのは茶道の普及により、ばらして額装して茶の席に飾ることが増えたからなんだとか。それってどうなんでしょうねー?やっぱり巻物として残ってた方がよかったような気もしますが。千利休がせいなのか。
曜変天目は相変わらず美しく。何度見ても思ってるより小さいんですよね。それが尚更宝物感が増すというか。大事にしなくちゃっていうが気持ちにさせるのかなぁと思ったりします。
そして河鍋暁斎の地獄極楽巡り図は明るく賑やかで14歳で早逝した田鶴が寂しくないようにという全力で気遣いしてて見てると涙が出てきます。とっても楽しい絵なのに泣けるという。河鍋暁斎の絵で泣くと思わなかった。
見終わって表に出ると美術館最終日ということで特別に噴水から水が出てました。
丸の内に移転となるためもうここに来ることはないなーと思い、帰りは別ルートで下ってみました。
鎖がかけてあるので通行禁止なのかなと思っていたら「車両通行禁止」という札だったので歩行者は通っていいことに初めて気づき横道に入ってみたらめちゃめちゃ立派な建物があり、何かと思ったらジョサイア・コンドル設計の岩崎家の廟(納骨堂)とのこと。へええええ~とひたすら感心し、そのまま下っていくと結構な森の中で「ホーホケキョ」と鶯まで鳴いてました。さすが武蔵野の森。
このあたりは先週行った五島美術館のある上野毛あたりと同じく国分寺崖線と呼ばれる国分寺から始まり府中、調布近辺から繋がっている崖が連なっている地域で、高低差が大きいです。崖の上の部分に静嘉堂文庫は建っているんですね。
行くのが不便で早く丸の内に来てほしいと思っていたけど、もう来ることはないと思うとちょっと寂しかったりします。こんな森の中にあるのもそれはそれで素敵だったなーと思いました。
2022年まで三菱のお宝を見る機会もないのかなーと思っていたら7月からこんな展示会があり!
またすぐ会えるじゃん!!とちょっとだけ拍子抜けしました。
まぁ美しいものは何度見てもよいので今度は三菱一号館美術館で会いましょうね。
続いては武蔵野の山から下りてきて緊急事態宣言中でも若者で賑わう原宿へ(それでもコロナ前に比べればだいぶ少ないですが)
太田記念美術館で開催されている「鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵 ―朝日智雄コレクション」を見てきました。
この展覧会は、昨年2月に開催しましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会期を3週間以上残しながらも途中で開催中止となってしまったそう。しかしながら、「これまでスポットの当たってこなかった絵師や作品を、どうしても多くの人にご覧いただきたいという学芸員の思いから、展示スケジュールを調整し、再び同じ内容で開催することにいたしました。」とのこと。という熱い思いがこもいを受け取るべく美人さんに会えるかなーとわくわくしながら中へ。
鏑木清方は日本画で多くの美人画を残していますが、元々は文芸誌や新聞小説の口絵で活躍していたそうで、同時代に同じく口絵で人気のあったのが鰭崎英朋。英朋の作品は多分初めましてだと思います。
鏑木清方の作品は版画でも女性が色っぽいのは変わらず。むしろ世の中の声に合わせたのか肉筆作品に比べてエロさが増してます。描かれた小説のあらすじも一緒に掲載されてるんですけど、「よろめきドラマ」という言葉がぴったりな感じの色恋沙汰の話が多く、当時はそういうものが新聞小説で人気だったんですね。小村雪岱のときにも思いましたが。
途中から日本画メインに転じた鏑木清方と違って口絵を描き続けた鰭崎英朋は画壇に登場しなかったためほとんど近年まで忘れられていたらしいです。やっぱり発表する場って大事なんですね。渡辺省亭も画壇と距離を置いていたために「忘れられた」扱いされちゃいましたし。野心のあるなしとも関わってくるのかもしれません。
鰭崎英朋の作品は清方よりもさらに色っぽい女性がたくさんでてきます。両方とも共通してるのがほつれ毛。とにかく髪が乱れがち。そのあたりに色気を感じるんでしょうね。確かに色っぽいです。ほつれ髪だけじゃなくて表情もリアル。情念を感じます。
浮世絵の女性たちからは感情があまり伝わってこないという印象はありませんか?そんな中、明治末~大正に制作された鰭崎英朋の口絵は、女性たちの表情を感情豊かに捉えています。太田記念美術館にて6/20まで開催の「鏑木清方と鰭崎英朋」展では、英朋の魅力あふれる口絵を紹介。いずれも木版画です。 pic.twitter.com/6B3XvC7Apd
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) 2021年6月15日
しかし二人とも月岡芳年の孫弟子っていうのに驚き。あの血みどろ絵から一つ代を挟むとこんなに美しい女性を描くようになるんですね。いや月岡芳年も素敵な美人画描いてますけども。時代の流れとともに求められるものが変わったのでしょうかね。
二人よりも少し前に文芸誌の挿絵で人気のあった他の作家の作品の展示もありました。
武内桂舟(1861~1943)、富岡永洗(1864~1905)、水野年方(1866~1908)、梶田半古(1870~1917)の4人。
この中で好きだなーと思ったのが梶田半古です。初めて見たのですが明治期とは思えないくらいパステル調の色合いで描かれた作品で色っぽい女性というよりモダンな女性が多かったです。ファッション誌のような構図も多くとってもお洒落でした。日本画も描いていたそうなので、機会があったら他の作品も見てみたいと思いました。
読書をしていたら、いつのまにかお昼寝。何気ない日常のワンシーンを洒落た構図で捉えた、梶田半古の「うたたね」です。雑誌『文芸倶楽部』の口絵として制作されました。太田記念美術館で開催中の「鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵」にて展示。会期終了が近づいてきました。6/20(日)までです。 pic.twitter.com/ugxCqde23L
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) 2021年6月12日
それにしてもいずれの作品も木版画とは思えないくらい微妙な色彩やグラデーションが表現されてて肉筆画と区別がつかないほどです。
江戸時代の錦絵との違いが太田記念博物館さんのnoteで詳しく紹介されていました。
こちらに取り上げられた作品も展示されてて見比べましたが、色味の違いはあれど言われなければ版画だと気づかないと思います。
絵師、摺師、彫師とそれぞれの意地のぶつかり合いというか高め合いがこのような作品を生み出してきたのですね。
2年越しで開催されるだけの熱意を感じる展覧会でした。
満足。