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昭和元禄落語心中 最終話「八雲」感想 ー美しいドラマでした…が


第四話「破門」の感想以降更新しないまま最終回の第十話「八雲」が終わって早2週間。年を越す前に締めの感想を上げておこうと思います。

 

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最終回のラストの3ショット

 

言いたいことは第四話まででほぼ言い尽くしてしまった感があり、その後のお話はただただ美しさを突き詰めていくような展開だったのでしばらく置いておきました。

色々なところで記事になったり取り上げられたりしたのでわざわざ言うこともないかなと。
RealSoundさんのコラムが毎週とてもよかったので詳細はこちらで。

realsound.jp

ドラマとしてはこれまでも書いてきた通りセットも凝っていて劇伴もよく照明その他映像も美しくとても贅沢に作られた作品でした。
脚本については、第5話以降原作から大きく変えたところは以下の5点

与太郎が真打になるタイミングと小夏の出産を合わせた
(原作では真打になったときすでに信之助は生まれている)

与太郎に芝浜の稽古を八雲がつける
(原作で八雲が芝浜をするシーンはない)

助六とみよ吉が亡くなった夜の出来事を小夏が自分で思い出す
(原作では小夏は真相は知らないまま)

⓸みよ吉と小夏が一緒に窓から落ちてしまいみよ吉は「この子だけは助けて」言い残して八雲に託す
(小夏が信之助を出産するときにも同じセリフを言うが原作にはこういう描写はない)

⓹落語全集を作る樋口先生が登場しない
(落語全集は萬月師匠が作る設定になっている)

登場人物を減らし落語と家族の継承を際立たせるように改変されてると思います。
原作では与太郎はあっさり真打になっていて「芝浜」を演じるのは助六が最後の夜に演じた「芝浜」のフィルムを見たあとなんですがその前に八雲が助六の「芝浜」の稽古をつけて真打に披露に臨ませそれを客席で見ている小夏が産気づきまさに助六の生まれ変わりとして信之助が誕生するドラマチックな筋立てになっています。小夏が難産で苦しんでいるときに八雲は一人高座で寿限無を演じるなど演出も凝っていました。

原作ではかなり重要な役割だった樋口先生をばっさりカットしたのも八雲の人生を落語になぞらえて密度を濃くし樋口先生の講釈がつくとかえって印象が薄まるからでしょう。ドラマとしてはこの方が見ている側も集中できてよかったと思います。

岡田将生くんの八雲は第一話の50代から始まり10~30代の菊比古時代を経て60代の八雲に飛び70代までを演じました。

30代の助六が失踪してからの菊比古には美しさとともに一人で有楽亭を背負う凄みが感じられて色っぽいだけじゃなくて少しずつ偏屈さが表に出てきて菊比古から八雲に少しずつシフトしていく危うい感じがよかったですね。落語にも自信がついてきて脂がのってるといった感じの「品川心中」はよかったです。温泉旅館の落語会で演じた「明烏」は菊比古&八雲であまり演じられなかった明るい噺だったのでもう少し聴いてみたかったですね。あとは助六との連弾で演じた「野ざらし」も八雲一人バージョンも聴いてみたかったかな。

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連弾野ざらしの一コマ

60代、70代の名人八雲になってからは端正さに磨きがかかり動きや話し方もゆっくりだけど眉や目線の動きだけで心情を伝える演技が主でこれ以上ない受けの演技だったと思います。ちょっと50代が老けさせすぎちゃったからか60、70代がちょっと爺すぎやしないかと思いましたがまぁ八雲さん苦労続きの人生だったので老けちゃったということにしました。雲田先生のリクエスト通り着物姿は毎回美しく高座で正座したときの背中の丸め方も年を追うごとに低くなりそれが美しいというのは実際には若い岡田くんが演じたから出てくる良さだったような気がしました。

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老いの恐怖を感じ始めた60~70代


老齢期の八雲を演じるのは難しいのではという前評判もありましたが一人の役者が10代から70代まで演じたからこそ背中に重なっていく業や去っていった人の思いを乗せることができたのではないかと思います。
大河ドラマや朝ドラのような1年スパンじゃない3か月1クールのドラマでここまで濃密な役を演じることはないと思うので大きな挑戦だったと思いますが相当な努力をされた上で素晴らしい結果になったのではないかと思います。

ドラマ「昭和元禄落語心中」は落語を描いたとても美しいドラマだったと思います。

そこは強調しておきます。

 

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ということを踏まえた上で以下は私の個人的な感想です。ドラマの出来に何も言うことはなく私の好みと作品への向き合い方の問題になります。


先日、「お江戸@ハート幕末太陽傳の巻」というイベントに行ってきました。

oedo-heart.com

映画「幕末太陽傳」は落語のいくつかの噺(居残り佐平次、品川心中、お見立て、三枚起請など)をモチーフにした川島雄三監督、フランキー堺主演で制作されたスラップスティックコメディの傑作です。その映画について落語家さんや芸人さんがトークや落語を行うというイベントでドラマの落語監修をされている柳家喬太郎さんが出る回と今やチケットの取れない講談師として人気の高い神田松之丞さんが出演される回と2回行きました。喬太郎師匠の回ではドラマで稽古しているうちに久しぶりにやりたくなったという「品川心中」が聴けてとてもハッピーでした。神田松之丞さんの回のトークのときにドラマ落語心中の話題になったとき松之丞さんは「(ドラマ)見ましたよ…ひっでえ話しですよね、あいつら落語のことなんか全然好きじゃない…」みたいなことを言いかけてまずいと思ったのかMCの方がすぐ違う話題に変えたのでその先は聞けませんでした。
あらゆることに毒づく松之丞さんなのでお得意の毒舌かなとも思いますが私の中でとてもその言葉がひっかかりずっと考えていました。というのは私がもともとの原作を読んでいるときに感じていたちょっとした違和感がドラマの中でもちょっとした小骨のようにどこかにひっかかっていてそのことを指摘されたような気がしたからです。雲田先生がこの作品を描くきっかけは寄席にたくさんの人が来て欲しいという思いからだったそうでそのために落語家さんをかっこよく描くということに拘られていてその目的は成功しているのかなと思います。原作以上にドラマの八雲、助六与太郎は美しくかっこよかったというのは製作陣、キャストがその思いを忠実に再現していたからでしょう。
マンガやドラマとして読者や視聴者に訴求するためのアプローチなんだと思います。

松乃丞さんの意図はわかりませんが、実際の落語家さんには顔があんなに小さくて手足の長い方はいません。ドラマの中では助六はだらしなくて師匠たちにいい顔されていませんがもっととんでもない人はいくらでもいるんじゃないでしょうか。落語やってなければただのクズ(言い過ぎ)みたいな人が。客にもおかしな人がたくさんいる猥雑で訳のわからないところが寄席という場所だと思いますがそういう空気感は原作にもドラマにも感じられませんでした。(松之丞さんがAERAの表紙撮影時のエピソード↓ですが確かに浅草ってこういう人昼間からうろついてますからね)

numbers2007.blog123.fc2.com

人としてはどうしようもないけど落語やってるときはめちゃくちゃかっこよく見える、そいういう姿を描いてたら「落語家」を表現したドラマになっていたのかもしれないなと思ったのでした。なので「落語」を描いてますが「落語家」を描いたドラマではなかったような気がします。
それに気づいたきっかけはドラマの最終話の翌日に放送された「IPPONグランプリ」で優勝した設楽統さんがめちゃくちゃかっこよかったことです。

www.youtube.com

どんどん一本を取っていく姿が痺れるくらいかっこよくて私が見たかったのはこういうかっこよさがどうやって出来上がるのかというドラマだったんだなと思ったのでした。ですが、それは「昭和元禄落語心中」の目指したところではないと思いますからドラマそのものには不満があるわけではなく、岡田くんの八雲には心打たれるものがありましたし素晴らしいドラマだということはわかっています。なのであくまで私の好みに問題があるんだと思います。

そして思い返せば私の盛り上がりのピークはエキストラに参加し生の八雲師匠の落語を見た時でした。原作を読んでいろいろと妄想しすぎたせいかドラマを見ていても答え合わせをしているような感じになり新鮮に感動できなかったのは今後の向き合い方を考えさせられました(大袈裟)やはりドラマを先読みしすぎるのはよくないかもしれませんね。

となぜか最後は反省モードになってしまいましたが岡田くんにとって大きな役だったことは確かなので心に残るドラマだったことは間違いなくこのようなドラマが地上波で見られたことに感謝しています。

何だか締まらない最後の更新になってしまいましたが来年以降もぼちぼち書いていきますのでお時間ありましたらお付き合いください。

今年もありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。