おうちに帰ろう

心茲にありと

特別展「聖徳太子と法隆寺」

今年が聖徳太子の1400年遠忌にあたるそうです。これを記念して聖徳太子関連する宝物やが太子が建立した法隆寺の宝物を集めた展示会。主に6~7世紀にかけての作品がほとんどで、仏教が伝来し信仰を集め普及する初期の段階でのお宝の数々。

 

tsumugu.yomiuri.co.jp

 

めちゃくちゃよかったです。飛鳥時代仏教美術の素晴らしさを知りました。

日時予約制ですが当日券もかなり出ているので土曜日でしたがふわっと行って入れました。

今回の音声ガイドは会場でレンタルできる専用のガイド機のもの以外にスマホアプリで聴けるものと2種類あり、スマホ版は期間内であれば何度も聴けます。

スマホアプリは↓

www.acoustiguide.co.jp

 

料金も660円でレンタルとほぼ変わらず。他の美術展でも見たことあるのですがイヤホンを持参してなかったりで使う機会がなく、今回初めて使ってみました。

家に帰ってからも聞き返せるのがよいですね。どんどん増えるとよいなあ。

 

ということでアプリをダウンロードし場内に入ります。第一会場に入るとまず聖徳太子と仏法興隆」というテーマのお部屋。

 

すぐに目に留まったのが今の諭吉さんの前の一万円札の顔でお馴染みの聖徳太子二王子像の模本。江戸時代に狩野<晴川院>養信が描いたものなんですね。聖徳太子といえばこの顔!というくらい有名な絵です。原本は皇室の御物となっているそうですが、この肖像画聖徳太子ではないのでは?という疑問もあるそうです。

 

www.yomiuri.co.jp

すっかり聖徳太子の顔として認識してましたけど誰が描いたかもはっきりせず謎が多いんですね。

 

聖徳太子愛用の文房具として墨床、水注、匙の3点セット(全部国宝)が展示。墨床は、すりかけの墨を置く台。水注は、水滴ともいい、水をすずりに注ぐための道具。3本の匙は、伝来では水注から水をすくい、すずりに入れる文房具らしいです。すべて7世紀ころに朝鮮半島もしくは中国から伝来したとのこと。墨床は花の文様、水注は鳳凰の模様、どれもとても優美。これで写経をしたためていたのかと思うと何だか優雅だなぁ。いや実際に仏教を学ぶのはとても大変だと思いますが。

 

続いては法隆寺の創建」のコーナーで創建当時の法隆寺の宝物がずらり。中でも現存する日本最古の刺繍「天寿国繍帳」(国宝)はもうあちこち擦り切れて今にも崩れ落ちそうなのですが、豪華な刺繍が施された面影とともに大事にしなくては!と思わせる名品。付属の裂もセットで国宝。この手の古裂を見るたびに、「断捨離」とかでばんばん捨てずにちゃんと取っておかないとだめなのねと思います。だって価値のわからない人が見たらだたのハギレですよ、言うたらね。だけど国宝ですから!どこにあって、どういう意図で製作されたものかちゃんとしかるべき場所で伝えていかなきゃだめってことです。

 

そしてずっと見てみたいと思ってた灌頂幡(かんじょうばん)!幡(ばん)は寺院の堂の内外を飾る荘厳具(しょうごんぐ)の一つで、古代の幡の多くは染織品らしいですが、こちらは金銅製。細かな透かし彫りの唐草模様のような細工ものでつるすと10m近くにもなるそう。こちらもトーハクの法隆寺宝物殿所蔵なんですよね。今まで見てなかったの勿体なかったなぁ。

emuseum.nich.go.jp

 

面白いというか初めて聞いた言葉(まぁたくさんそういうものはあるんですがその中でも)でへぇええと思ったのが「伎楽装束 裳残欠(ぎがくしょうぞく も ざんけつ)」で、伎楽(日本の伝統演劇のひとつだそう)の衣装のほんとに切れ端(言い方)です。元はこんなデザインでしたというイメージ画の上に展示されてて、巻きスカートのようなものが2枚重ねになってて短い方を上に重ねて着てたみたいなんですが、それを「褶(ひらみ)」って言うんですって!!「ひらみ」といえば舞台刀剣乱舞 无伝夕紅の士に登場する如水の衣装のスカートのひらひら感!あれをひらみひらみと呼んでたんですけど、ほんとに「褶(ひらみ)」って呼ぶ衣装があったんですね。びっくりしました。

cpcp.nich.go.jp

 

あと先日「三菱の至宝」展でも見た百万塔と陀羅尼もあり、残存している3万いくつかのうちの一部が展示されてました。法隆寺の宝物として展示されてるのはとても正しい気がします。岩崎家のもとに渡ったのは廃仏毀釈の影響なんですかねぇ。

 

そして次の部屋に行くと色んな聖徳太子がいっぱい。数えで2歳の頃の聖徳太子立像はシルエットはまるまるした子どもの姿なんだけど、お顔はキリリとめちゃくちゃ賢そう(賢いのレベルが違うけど)。孝養像(きょうようぞう)と呼ばれる16歳の頃になると角髪(みずら)に結った飛鳥時代の若者らしい姿でどこか中性的でもあります。美少年だったのかなぁ、やっぱり。

少年期まではそんな感じなんですが国宝聖徳太子および侍者像」になると牙笏(げしゃく(一万円札の聖徳太子が持ってる長いお札のようなもの)を持ってすっかり威厳のある為政者の顔になってます。こちらは500年遠忌に制作されたものなので平安時代聖徳太子信仰の高まりがわかる作品です。X線で像の内部を見ると経典が3種類入っててその上に台座をおき観音菩薩が入り太子の口のところに顔があり太子が経典を説いてるようになるそうです。
普段は厨子の中に入ってて扉が開くのは年に数回。近距離で見る機会も滅多にないので大変貴重な機会だとか。ありがたや。

 

続いて第二会場へ。

こちらは法隆寺の宝物を中心に展示されてます。まずは東院の御物。聖徳太子ゆかりの七種宝物のうち6種が展示されてます。(後期には7種揃うそう)

 

www.tnm.jp

 

聖徳太子信仰で使われていたものということで平安時代以降の制作年となっています。その中でやっぱり信仰心が篤い人はやることが違うと思ったのが「梵網経」という紺地に金で描かれた写経があり、注目は文字の部分ではなく表紙部分に貼られた「何か」。

これ聖徳太子の手の皮と伝わってるみたいなんです。何でそんなもの??と思ったら「「梵網経」に写経のあり方として「皮をはいで紙となし、血を刺して墨となし、髄(ずい)をもって水となし、骨を折って筆となす」

という壮絶な方法が記されていることに由来」しているそう。(ブログ内に記載)今だったらそんなこと言われたら「こわい~」って評判になりそうですが、本来宗教ってそういうもんなんだろうなぁと思います。何ごとも信じることから。ひえぇ。

 

聖徳太子は歴史上の人物ですが太子信仰が広まったことで、いやいやいやという伝説もあり、次の部屋は聖徳太子が数え2歳(今でいう1歳)の折、「南無仏」と称え手を合わせたところ、その手のひらから出現した仏舎利の内部を再現したもの。そのときの様子が聖徳太子像とともに手のひらから零れ落ちた水晶とミニチュアの仏舎利とともに展示されてます。信仰の対象となると伝説のスケールが意味不明にでかい。昔は事実と伝説の境目がなかったんでしょうね。面白いなぁ。

 

最後の法隆寺金堂と五重塔の国宝群のコーナーに行く手前にあるのが行信僧都坐像。行信は聖徳太子亡き後一時的に荒廃した法隆寺を再興して東院を興した人だそう。吊り目が印象的ですが、柔らかな衣のシルエットなどは脱活乾漆造ならではの造形なのかな。同じ乾漆づくりの木芯乾漆造の聖林寺の十一面観音立像を見ましたが表面に箔がない分、こちらの方が素朴な味わい。観音様のような信仰の対象じゃないからかな。

 

そしていよいよザ・法隆寺(何それ)なエリアへ。
四天王のうちの広目天多聞天鎌倉時代以降の筋骨隆々とした像に比べると、軍師という趣。三国志あたりに出てきそうな風貌で中国から伝来してきた当時の人々の受け止められ方と時代が下って武士が台頭してきた時代に求められる像が変わってきたからなのかなぁと思ったりしました。

その他金堂天蓋の付属物の鳳凰や飾金具など、どれもこれも国宝で、法隆寺の存在そのものが国宝なのでそれを構成するパーツ全てがお宝ってことですよね。まだ日本の文化と融合しきる前のもう少しオリエンタルな要素が強い装飾品が多いですね。すごくシルクロードを感じます(ざっくり)仏教文化でありながらイスラムの雰囲気も漂わせててより起源に近い感じです。

 

教科書で見たことある薬師如来坐像は思ったより小ぶりでした。少し微笑みをたたえた表情は穏やかで親しみを感じさせます。こんなお顔だったのかぁ。むしろ驚いたのが台座の方。最初厨子なのかと思ったら扉はなく直径2mくらいある四角い箱です。その上にこちらの薬師如来さまは普段鎮座しているそう。今回の展示では正面からお顔を拝見できますが、実際には見上げるような高さにあるわけですね。親しみやすい表情と思ったけど、見上げるような場所にあったらまた見え方違うかも。現地で見てみたいなぁと思いました。

 

最後には阿弥陀如来および両脇侍像(伝橘夫人念仏)とその厨子が別々に展示されます。本来は厨子の中に納まっている阿弥陀如来および両脇侍像ですが、出されているので全体を近くで見ることができるという素晴らしさ。こちらも思ったより小ぶりですが文様が美しく個人が念仏と唱えるために大事にしてたんだなぁと思いました。

 

いやーーすごかったですね。

 

各所蔵品の装飾が繊細で仏像のお顔も美しく11世紀以降の美術とは全然違うものでした。

 

もう、あほみたいな感想なんですけど、平安後期の11世紀あたりから遡って聖徳太子が冠位十二階を定めたり憲法十七条を制定してた頃は500百年も前なんですよね。令和の今から500年前って室町時代なんで、平安時代の人たちからしても聖徳太子は偉人中の偉人ってことなんだなぁと。

よく目にする機会の多い美術品も平安時代以降の作品が多く、それより前だともっと昔の古墳時代になったりとか中国や古代ギリシャとか紀元前○○世紀なんてのもありますけど、飛鳥時代って残ってるものが少ないことや法隆寺周りに限定されててなかなか見る機会が少ないとかいろいろな事情から馴染が少ないのですが、まとめて展示されているとこんなに美しいものがたくさんあるんだ!と感動しますね。

いや、トーハクには法隆寺宝物館がありほんとはすぐ見られるところにあるんですが毎度他の場所に時間を取られて行けないまま。(施設内のカフェには行ったことあるんですが…)

近いうちにちゃんと時間取ってじっくり見たいと思いました。

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後期には展示が入れ替わるそうなので、また行ってみたいと思います。


同時開催で「スポーツとNIPPON」という企画展も同じ平成館で開催されてて古代からの日本人がスポーツ(と分類されるもの)との関わりと近代以降はオリンピックでの足跡を追う展示がありました。

 

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大河ドラマ「いだてん」に登場した金栗四三が履いたマラソン足袋や三島天狗こと三島弥彦のユニフォームや1964年の東京オリンピックのポスターや日本で開催された東京、札幌、長野のオリンピックのメダルなど興味深いものがたくさん。冬季札幌オリンピックのメダルは初めて見たんですがとてもモダンなデザインだなぁと思ったら田中一光デザインだったんですね。どうりでかっこよいはずだわ。

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最初に出場したストックホルム大会、次のアントワープ大会のもの

最初は地下足袋そのものなんですが少しずつ改良が加わってきています

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陸上短距離に出場した三島弥彦のユニフォーム

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札幌五輪のメダル。スッキリしたデザインが素敵

 

総合文化展に移動してこれだけは見なくては!!と見に行ったのが国宝部屋の「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」久しぶりに見たのですが、構図といい各人物の表情といい引き込まれますね。「三菱の至宝」展後期に同じ平治物語信西巻が展示されるのでこちらも楽しみ。

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繋げて見てほしいんだけど…



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写真じゃなかなか伝わらない躍動感~

 

やー今回もまた時間が足りないトーハクでした。